よく覚えていないが、

たしか高校生くらいまでは

元のように暮らしたいと思っていた

 

就活をしていて ふと本当に製薬業界でいいのかと思う時がある

中学生の時に母親ががんに罹患した私にとっては目指すべき業界で、同じ境遇の人も沢山いる

でも一生縛られていていいんだろうか 高校生までとは違って、今は早く家族の元から離れたい

 

高校と大学は父に決められていた

家から近い学校だったが不満はなかったし、大学にはがんの勉強ができる研究室があるらしく、ここを目指して推薦で入学した

学校のレベルはどちらもそこそこで 勉強はあまり苦手ではなかったので、奨学金がもらえるくらいには結果を出すことができた 希望の研究室にも入れた 分野の近い製薬業界が狙えるかもしれない

 

少し話が変わるが、父はよく怒鳴り、叩く人だった

物心がつく前から小学生くらいまでだったと思う

お風呂に入ると体が痛んだがあざはなかった

なぜ怒られているのか分からないことが大半だったが、他の家も同じようなしつけをしているのだろうと思っていた

大学生になってから一度だけ蹴られてしまった

とても痛くて泣いてしまったし、何より 頭にきたから足が出た ことが衝撃だった

しつけは関係なかったことに気づいて悲しかった

 

母は元から口が悪かったが、病気になり 離れて暮らし 戻ってきたときには悪い人になってしまっていた 病気がとても辛かったんだと思う 健康な私には想像を絶する辛さなんだと思う

大学の途中までは母に通帳を預けていた

気づいたら 私の奨学金を使ってしまっていた

医療費が負担なのは分かっていたので、一声かけてほしかった

今まで使っていた分を返してほしいとお願いした

今まで使っていた分は返してもらえたが、それまで私にかかっていたというぶんは引き出されてしまった 収支は大きなマイナスで、貯金はなくなった

それから自分のぶんは自分で賄うことになった

通帳を管理し始めたが、貯金ができなくなった

4年で就職しなさいと言っていたが、その場合の引越しや はじめの生活費はどのように工面させるつもりだったんだろう

引き出されてしまったお金は 私が頑張ったからもらえたお金に他ならなかった 大切にしてほしかった

病気のせいならいいな

 

 

関東の製薬業界を中心に就活している

父の癖や 母の病気から物理的に離れたい

でも、嫌でも病気を意識する仕事について辛くはないだろうか 悲しくて悲しくて授業中に泣いてしまっていた頃に逆戻りなんじゃないか

全く関係ない業界の方が楽しく働けるのではないか

 

同じ境遇の人が沢山いる中で、同じくらいの年齢で病気にかかる人もいる中で、もっと不幸な目に遭っている人もいる中で、私は志を高く持ち続けられるほど強い人間にはなれなかった

多感な時期に母の病気が分かったことが タイミングが悪かったのだろうと思っている

当時は 何で自分ばかり という思いが先行していたし、未だにこれを引きずっているのだろう

現に、頑張れば薬を作って人のためになれる というよりは、頑張れば幸せになれる を原動力にしてきた

 

私にとっての幸せはとても人並みで、仕事をしてお金をもらって遊んで、適当なタイミングで結婚して子供を産んで家庭を作ることだと思う 多分

仲のいい家庭に憧れがある 多分

子供はかわいいと思う 多分

 

同時に子供を作るのは恐怖でもある

父や弟が子供を傷つけるかもしれない

暴力を振るう人は、同様に暴力を振るわれていたことが多いらしい 父も弟もそうだ 弟は未だに暴力を振るう

となると、私自身も子供を叩くかもしれない お金も奪うかもしれない

地獄すぎる 努力の結果を自分でぶち壊すかもしれない

 

これから1つも間違えてはならないと思う

でもやっぱり、薬は作りたいし、辛い思いはしたくない

堅実に内定は取らなければならないし、かといって地元にはいたくない、家族から離れたい

 

 

長々とおもうままに書いてしまった ツイートじゃん

インスタからはリンクを消した